今夏の保養ツアーは、私たちの「わくわく保養ツアーin邑久光明園」だけではなく熊本菊池恵楓園、四国大島青松園、駿河療養所、栗生楽生園でも開催されました。今回は、大島青松園での様子を報告書の中から抜粋して掲載します。
「福島の子どもたちに夏休みを」
プロジェクトIN大島青松園
ご賛同頂いたみなさまへ
この度は、本プロジェクトにご賛同頂き、ご支援を頂いたこと誠にありがとうございます。お陰様で3家族10人の福島からおいで頂いた方、みなさん無事にお家に帰られ日常の生活に戻られたご様子です。日常といっても、見えない放射能への不安の毎日です。帰られた後、保護者の方々から頂いたお手紙から、そのことがひしひしと伝わってきます。
今回、ハンセン病療養所にお越し頂いたということは大変意義深いことだったと思います。事前にハンセン病の問題を調べて来られた方もおられました。国策による自分に理由のない被害、将来の不安をかかえた生活、同じ思いを持たれているということがよくわかりました。私たち、関わらせて頂いた者も貴重な時間を過ごしました。そして、ぜひ継続した取り組みにしたいと決意を新たにしました。
遅くなりましたが、ご報告をもって、ご支援に対する御礼といたします。今後ともご支援ご協力よろしくお願い致します。 実行委員代表 岡 学(2012.9.19)
2012.8.20(月)【到着】
夕暮れの大島に、官船にて到着。
ほぼ一日かけて来られた皆さんは、
少しお疲れ気味ですが、厚生会館
での歓迎会に直行。
【歓迎会 山本隆久自治会長】
隔離され、社会と絶縁された。それで病気が治るようになり、解放されるようになったけど、閉じ込められて閉鎖社会に生きてきた歴史が長すぎて、なかなか社会との接点が持ちづらい、そういう思いが長い間あった。私たちが本当に人間同士としてお互い社会の一員として関わり合えるという大きな絆になるだろうという思いで賛成しました。自分の庭で遊ぶようなつもりで時間を過ごしてほしい。
【食事】
大島の職員の方々に張って頂いたテントで自炊しました。
入所者の本田さんから体験談をお聞きし、園内の施設見学。昼食は、百寿会の皆さんから流しそうめんのご接待。この流しそうめんの器械、入所者の方々に結構人気だそうです。海で泳いで、子どもたちの距離が一気に縮まったね。
「泳ぐのは、福島では、泳げないから、今のうちに楽しく泳いでおくんだ。」(哉斗9歳)
【刺し身の差し入れ】
介護職員の宿里さんが採ってきてくれた魚とサザエを栄養の谷東さんがさしみにしてくれました。
酒がすすみましたね。
【8.22(水) 観光ツアー】
五色台→与島→うどん→さぬき子どもの国→屋島→夕食(骨付き鳥)→大島
【8.23(木)バーベキュー―】
◆今日は、フリーということで、皆さん
小豆島やらイルカと遊びに行きました。
◆夕食のバーベキューの前につり。桟橋ですが結構釣れました。宿里さん谷東さん、
ありがとうございました。
◆すみれさんがゴカイを平気で釣り針につけているのを見て一同 あ然。
【釣果】哉斗はじめ子ども達、よくやった。つりの師匠に感謝。ごちそうさまでした。
◆夕食は、四国の青年たちがバーベキュ
ーをしてくれました。
【家庭教師バッチリ福島の2学期は、27日からです】
【8.24(金)納骨堂へ献花】
3家族を代表して、亮太さん、麗凜(まりん)さん、すみれさんが献花してくれました。
彼は何を祈っているのかなと思いました。
津浪で亡くなった父を思いつつ、いのちのはかなさを感じている・・・。
【さよならパーティー】
お別れパーティーで3家族を代表して哉斗さん、麗凜さん、すみれさんがお礼の挨拶をしてくれました。お別れパーティーの後、花火を堪能。大阪から来られた戸次さんによる絵本の読み聞かせ。でもやっぱり風船バレーが一番いいか?
【8.25(土)】
大島での短い夏も終わりました。
今頃どうしているかな?と思う香川のじじばばです。
【福島の方々の声】
きっかけは、保養を探して、小さい子から小学生までいるので、その子たちが参加できるということで大島に来ました。できるだけ遠くに行ければいいなと思って、小さい子が参加でききる保養は少ないんですよね。ハンセン病という病気をみんなで考える、良いきっかけかなとも思って…。すごく良い島でみんなが歓迎してくれているのが感じるので、本当にありがたいなあと思っています。
先日、哉斗の学校の3人の先生から「哉斗君は香川に行って大きく変わったよね、気持ち的に成長したし、きっといろいろな人達と触れ合って成長したんだね~」と言われたので私も思っていた事なので先生から言われて香川での体験がとても影響していると分かりました。また、やはり福島では毎日放射能を意識して生活していたので香川での放射能の無い生活が子供たちの心に良かったんだと。
福島では毎日放射能のニュースで嫌になりますが、頑張って生活していきたい。
外で土に絵を描いていたんですよね。福島では、とてもじゃないけど土に指で絵を描くなんて考えられないというか、さしてあげられないので、それを見て、普通のことだけどすごくうれしかったですね。にこにこしていて本当にうれしかったです。
今回、大島に行けたことはわたしにとっては大きく、未だ、混乱の渦中、福島が『世界のフクシマ』となり右往左往している中で、『福島の子どもたちを助けてあげたい』と思って下さる方々に出会えたことに胸がいっぱいでなりません。ハンセンの方々が歩まれたご苦労を思うとき(今もすぐ涙が出てしまいます…)国に対する怒り、今まで知ろうとしなかった自分に対する羞恥心、今回受け入れて下さった優しさ、お気持ちなど様々な感情が交錯します。そしてすみれには将来、今度は、弱っている立場の人に寄り添える大人になってほしいという考えに至ります。四国と福島、離れていますが、今回のご縁を頂いて思うことは、福島のことを考えて下さる人がいる、相談できる人がいると思うだけでどれほどうれしい気持ちになれるかわかりません。