この夏私どもが企画し皆様にご賛同をいただきましたワクワク保養ツアーinハンセン病療養所邑久光明園が6家族17人を迎え無事に過ごすことができました。これもひとえに皆様のご理解とご協力の賜物とあらためて深く感謝しております。大変遅くなりましたがここにご報告申し上げます。

 

 

2012年7月、夏真っ盛りの岡山県国立ハンセン病療養所邑久光明園に普段見慣れない麦わら帽子の一行が屋自治会長を先頭にぞろぞろと園内を練り歩く姿がありました、この珍しい麦わら一行の正体は福島県からこの夏、放射能からの避難、保養を行うため企画されたワクワク保養ツアーin光明園に招待された6家族17人の親子たちです。麦わら帽子はあまりの暑さに子どもたちが熱中症になるのを心配して入所者のお一人が急遽注文し取り寄せてくれたもので、たまたま売店に寄った私がその方から「さあさあ早くこの帽子をみんなにかぶせてやってくれ」とまるで孫を心配するおじいちゃんのごとく手渡されました。私は思わず笑いそうになるのをこらえながら大量の麦わら帽子を手に園内見学中の子どもたちの元へ急いだのでした。

 

紹介が遅れましたが私はこのツアーの発起人の一人であります中杉隆法と申します。16年ほど前からハンセン病問題と出会い、光明園とも御縁をいただき、真宗法話会の皆様とを中心に交流させていただいております。いつも勢いだけはあるのですが、本当に勢いだけで色々なことをやってしまい、園の方々に度々ご迷惑をおかけしております。そんな私たちがまた性懲りもなく企画したのがこのワクワク保養ツアーです。

前年、東日本を襲った大震災は未曽有の被害をもたらしました。殊に地震によって発生した津波は私たちの想像をはるかに超えたスピードと破壊力で人々の命と日常を奪っていきました。17年前に阪神淡路大震災を経験した私でもその映像をただ茫然とみることしかできず、あらためて自然の脅威の前には人間はこんなにも無力なものなのかと思い知らされました。しかしただ無力感を感じているだけでは済まされないことが地震と同時に起こりました。言うまでもなく東京電力福島第一原子力発電所の事故です。この事故によってその日から近隣の住民の人たちは目に見えない放射能の恐怖との戦いが始まりました。1年以上が過ぎても収束の目途さえつかず知り合いの福島のお母さんたちは子どもを放射能から守るための生活に限界を感じてきていると話されました。

 

「療養所で子どもたちを受け入れて保養してもらうことってできないかなあ」そんな仲間のつぶやきから私たちのプロジェクトが始まりました。ハンセン病療養所で福島の子どもたちを放射能から守る。それには一体どんな意味があるのだろう、本当にそんなことができるのだろうか、最初に言い出したものがそんな疑問を持ち続けながらのスタートでした。

まずは園長先生と自治会長さんに私たちの思いをお伝えしよう。5月頭に光明園の園長先生、副園長先生、自治会長さん、副会長さん、事務部長さんたちに集まっていただき私たちの思いを伝えました。緊張してなかなか上手く話せなくて大変でしたが、汗をかきながらこちらの思いをお伝えしました。園長先生はじめ皆さんから是非やりましょうというお返事をいただき少し安心するも私たちの計画の甘さもきちんと指摘され身の引き締まる思いで自治会の会議室を後にしました。5月の爽やかな風の中、穏やかな瀬戸内の海を眺めながら、「絶対に福島の子供たちにこの海を見てもらおう!」こうしてワクワク保養ツアーin光明園に向けての第一歩が踏み出されたのでした。

 

日程は7月26日から8月3日までの8泊9日、参加人数は5家族20人程度、滞在施設は旧看護学生寮の楓会館を使わせていただくことになりました。

それからの日々はまさしく嵐のような忙しさです。スタッフ集め、後援団体、賛同金の依頼、備品のチェック、パンフレット作り、園との打ち合わせ、なにもかもが初めての経験でした。しかしそれらは私たちが頑張ればなんとか出来る範囲の事です。私たちがもっとも不安だったのは、「もし誰も参加してくれなかったらどうしよう。」ということでした。インターネットを開けば夏休みに福島の子供たちを保養させる情報が山ほど載っています、とても魅力的なものも、中にはホテルやリゾート地の別荘を提供しますというのもあります。そんな中でハンセン病療養所が保養先というのはやはりちょっと無理があるのかな、わざわざハンセン病療養所を選んで来てくれる親子は本当にいるのかな、そういう不安が日に日に大きくなっていきました。なによりもし誰も来てくれなかったらそのことでまた療養所の人たちを傷つけてしまうのではないか、それでなくても心配性の私はその不安がずっと頭から離れなかったのです。

しかしいざ蓋を開けてみれば6家族17人の親子が参加してくれることになりました。中にはハンセン病療養所だからこそ行きますというお母さんも。参加家族が決まり、募集を締め切った後でも参加希望の連絡があったりと、私の心配はありがたくも杞憂に終わりました。

 

参加家族が確定し、いよいよ準備にも力がはいってきます。そんなある日、昼食を食べにうどん屋さんに入りテレビを見ると、大飯原発再稼働に反対するデモ活動が日に日に大きくなっていき、何万人もの市民が国会議事堂や首相官邸を取り囲み抗議活動を行っているニュースが流れていました。日本でこれだけのデモが行われるというのはこれまでもあまりなかったそうです。結果的に再稼働は行われてしまいましたが、もし、これまでのハンセン病回復者の方々の国に対するたたかいにこのような市民の意識が寄せられマスコミでもきちんと取り上げられていたなら予防法ももっと早く廃止され、社会復帰される方もっとたくさんおられただろうなと複雑な思いでデモの映像を見ていました。

 

そしていよいよ福島の親子が光明園にくる日がやってきました。JR姫路駅に全家族が集合、それまで電話やメールなどでいろいろやり取りはしてきましたが、やはり初めて顔を合わすのはドキドキします。それはもちろん参加家族の方々も同じで、特に改札口から出てきた子供たちはお母さんにぴったりと寄り添い不安そうな感じ。福島では放射能の影響でほとんど外で遊ぶことが出来ずにいるため、夏なのにみんな肌が白いのも手伝ってかちょっと元気がなさそうに見えました。

光明園へは貸切バスで向かいます。みんな岡山県は初めてだそうでブルーラインから見えた瀬戸内海を見た瞬間思わず「海だ!」の歓声が上がりました。私はようやくこの海を見てもらえた喜びと同時にその声は、きっと福島では毎年海に行っていたのが、あの事故以来行けなくなってしまったという悲しみも含まれているのだと感じました。

光明園に到着して荷物を置いてすぐにウェルカムパーティーの会場へ、ふれあいホールにはすでにたくさんの入園者の方々が待ち受けてくれていました。私はマイクの前で司会進行役、子供たちはきょろきょろと落ち着かない様子。そんな中でまず園長先生のスピーチは「みなさん本当に光明園によく来てくれましたね、みなさんが来るのを私たち光明園はみんな本当に楽しみに待っていましたよ」とのお言葉、はっと目が覚めました、そうなんだ、みんなこんなにも待ってくれていたんだ。私はどこかでこの保養ツアーは私たちが光明園でやらしていただいて、出来るだけ園の方々には迷惑をかけないように、出来るだけ入園者の方々の生活を邪魔しないようにと、そのことばかりを考えていました。ところが実はみんながこの日を待ってくれていた。乾杯をし、自己紹介が終わるともうあちこちのテーブルで「よく来てくれたね」「一緒に写真とろう」「ここから愛生園の花火が見えるよ」など笑顔と笑い声が会場にあふれました。その様子を司会の席から見つめているといろんな思いが込み上げてきて胸が熱くな思わず涙が流れてきました。やばい!まだ始まったばかりでこんなことでは見つかったらなにを言われるかわからない、首からかけてあったタオルで顔を拭ってなんとかピンチを切り抜けることができました。そしてパーティーの最後には屋自治会長からサプライズとして子供たちにカブトムシのプレゼント。「やったー!」と喜ぶ男の子、「きゃー!私虫苦手」と逃げる女の子。こんな感じで光明園は福島の子供たちを受け入れてくれたのです。

 

それからの日程をざっと申しますと、翌日はまず、納骨堂にお参り、それから園長先生のお話、ハンセン病ってなんだろう?中学生のお兄ちゃんやお姉ちゃんと一緒にお勉強しました。でもちょっとむつかしかったかな、気が付くと子供たちはスース―とかわいい寝息を立てていました。続いて自治会長さんに園内見学を案内してもらいました。炎天下の中みんな汗だくになったけど最後まで頑張りました。大きな声でみんなで「屋さんのおじさんありがとう!」とお礼を言ってハイタッチ。その日の夜はお寺の前でバーベキュー大会、お母さんたちもビールで乾杯!

(28日)陶芸体験、陶芸部の皆さんがわざわざ土を用意し準備して下さいました。みんなそれぞれ土をこね作品を作りました。乾燥させて焼き上がるのはもう少し先、出来上がりが楽しみです。

 

(29日)神戸大学のボランティアの人たちがお昼に流しソーメンをしてくれました。大きい子も小さい子も楽しみながらお腹いっぱい食べました。

 

(30日)となりの愛生園を訪問しました。歴史館でお勉強、園内見学、お寺でお昼を食べた後は海でパシャパシャ磯遊び、ヤドカリもたくさん捕まえました。

 

(31日)姫路セントラルパークへバス遠足。入所者のおじいちゃんやおばあちゃんも一緒にキリンや象に餌をあげたり、でっかいプールで思い切り遊びました。男の子が一人熱を出してプールに入れませんでした、本当に久しぶりのプールをよほど楽しみにしていたのでしょう、目から悔し涙がぽろぽろ溢れます。思わず手を握り「ごめんな、僕たち大人が自分たちの都合で作った原発のせいで福島ではプールにすら入れないようになってしまったね、本当にごめん」とつぶやきました。

 

(1日)ちょっと今日はゆっくりしましょう。みんな疲れも出てきました。でも同時に子どもたちはすっかり仲良くなり、入所者の人たちやスタッフともいろんな話をすることができました。

 

(2日)この日はいよいよ夏祭り、光明園は園外からの人でいっぱいになりました。子供たちはスタッフと一緒に舞台へ上がり、舞台上から今ツアーのお礼のあいさつをさせてもらいました。そのあとみんなで大きな声でふるさとを歌いました。いろんな意味でちょっぴり切ないふるさとでした。

(3日)とうとう最終日です。お別れの日がやってきました。どこかさみしそうな子供たち、でも到着したときと違うのはほんのり日焼けし、少し逞しくなったその表情。そしてたくさんの人と出会って得た満足げな笑顔、みんな本当にありがとう。

荷物をまとめ最後のあいさつに、本館の応接室にいれていただきお礼のあいさつ。園長先生のお言葉、「みんな無事に過ごしていただいて本当によかったです。スタッフのみなさんも本当にお疲れ様でした。」

その横ではお世話になった職員のみなさんがやさしく微笑みながら子供たちを見つめてくれていました。

次に夏祭りの片づけをしておられた自治会長さんにお別れのあいさつに、「みなさんここに来たことを忘れないで下さい、光明園のことをたくさん友達にお話しして下さい。そして福島に帰ってもどうぞ頑張ってください」

一人ひとりぎゅっと握手交わしてお別れをしました。

そしてお別れのあいさつに回って歩く私たち一行にその別れを惜しむようにずっと真宗法話会の吉田藤作さんが寄り添って下さいました。

こうして8泊9日のワクワク保養ツアーin光明園は幕を閉じました。心配していた子供たちの病気や怪我もほとんどなく、園長先生の言葉通り無事に過ごすことができました。その無事に過ごせたということに私はとても大切な意味があるのだと思っています。無事に過ごせるというのは誰かに守られているからなのでしょう。日程中もたくさんの野菜や果物、山ほどの差し入れをいただきました。こうしてみんな守ってもらったのです。私たちの気が付かないところで、見えないところで光明園は子どもたちだけでなく、私たちをも守ってくれたのです。冒頭に書いた麦わら帽もまさしくそうなのです。それは隔離の歴史という悲しみを持った光明園が、同じように悲しみを持った福島の子供たちをそっと包み込むように守ってくれたのだと思います。「療養所とは本来そういう場所なのですよ」とみんなに呼びかけるように光明園はそこにありました。自分だけを守るのではなく誰かを守るための場所。こんなことが続けられたら本当に素晴らしいと今は素直に思います。隔離の歴史を見つめながらその歴史を超えるような新しい歴史を作っていくという形でこれから私はハンセン病問題と向き合っていきたいと思います。

悲しみを喜びや楽しみで消し去っていくのではなく、悲しみを悲しみで包み込むことで、人間は本当の優しさや温かさに出会えるのだと思います。ホテルやリゾート地でももちろんいいのですが、わたしはハンセン病療養所でこのご家族に保養していただき本当に良かったとおもいます。なぜなら人間は悲しみによってつながることが出来るのだと入所者の方々と福島の親子たちのふれあう姿を見てわかったからです。原発問題と、ハンセン病問題がともに回復していくことをあらためて私の願いとしたいと思います。

 

 

保養ツアーが終わりお盆を迎えまだまだ猛暑が続きそうなある朝に福島から一通の手紙が送られてきました。参加者のお母さんからの手紙です。この手紙を紹介し私の報告を終わりたいと思います。

 

福島へ戻り早一週間が過ぎようとしています。今でも岡山での楽しかった思い出がよみがえり、懐かしく思われます。子供たちも多くの方々と接し、いろいろ話を聞くことにより人の尊さや、大切さを知り、以前と比べるとだいぶ成長したと親の目からも見受けられます。

これも皆様の御陰です。本当にありがとうございました。

今後彼らが生きていく中で必ず役に立つかと信じております。私もそちらへ向かうまでは何も知らず、井の中の蛙だったかを痛感いたしました。入所者の方やスタッフの方々からたくさんのことを学び、考えさせられました。しかしこれで終わりではありません。この経験を人生の糧として生きていけたらと思います。私は「ハンセン病」でたくさんの方々が今まで苦労を強いられたことを決して忘れません。皆様も「フクシマ」を決して忘れないで下さい。心よりお願い申し上げます。

またいつか、スタッフの方々や入所者の方々の素敵な笑顔に逢える日を楽しみにしております。お身体に気を付けてお過ごしください。

 

このお母さん以外にもほとんどの参加者から是非来年も来たいですとの感想をいただきました。

 

園長先生はじめ職員の方々、自治会長さんはじめ入所者の方々には言葉もないくらい感謝の気持ちでいっぱいです。本当に本当にありがとうございました。そしてこの保養ツアーに賛同し関わって下さったすべての方々にこの場をお借りしてお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。

 

    ワクワク保養ツアーin光明園実行委員会 事務局長 中杉隆法